自分の音のどこを聞いてるの?

自分の音の響きについて悩んでいる学生の話です。
耳もリズム感もよく、吹けるほうのタイプなのですが、音の響きが平べったくて悩んでいる状態です。特に高音域になると響きがやせてしまうので困っています。アンブシュアは粘膜奏法ではなく、変な当て方をしているわけではありません。「ひょっとしたら」と思って声を出してもらいました。高校時代の歌唱指導が良かったのでしょう、きちんと響いた声で歌っています。「その状態でラッパを吹いてるの?」と聞くと自信のなさそうな顔をしています。「今の発声状態と同じようにしてラッパを吹いてみて」というとガラッと変わって丸く響くようになりました。「君の場合は気楽に鼻歌を歌うような状態でラッパを吹いていたんだね」「きちんとした発声で歌えるんだから、やっぱり人前で歌を歌うような状態でラッパを吹くようにした方が良いよね」学生も納得した瞬間でした。しかし、なかなかその響きのある音が定着しません。先ず気がつくのはフレーズの最初の音が当たったり当たらなかったりまちまちなのです。最初のタンギングがまちまちなので響いたり響かなかったりいい加減になっているわけです。「自分の音のどこを聞いて吹いているの?」という状態です。聞くべきポイントを聞かないで、なんとなく「ミスしないで音を出そう」ぐらいな気持ちで演奏しているわけです。「アタリと響き」を聞きながら吹くという意識がないわけです。聞くべきポイントがちがっていれば出てくる音もちがってしまいます。この事を先ず練習していきました。次にレッスンをしたのは「誰でも吹ける音域をきちんと響いた音で吹く習慣を身につける」事でした。五線の下のドから五線を超えてラぐらいのところは簡単に出てしまうので、響きが薄くても口先でぺらぺらと吹いてしまっています。誰でも簡単に吹けるこの音域を丸く響いた音できちんと吹く習慣がなければ、低音域や高音域が響いた音で安定するわけがありません。この一連の事柄に気をつけて練習をし始めてようやく響いた音が出始めました。「耳」「息」「心」が協力しないと上手くいかない事を再認識した次第です。

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歌うように吹くと・・・

ある高校生が「歌うように吹く」というきっかけで、いままで楽に超えられなかった五線より上の音に楽に行けるようになりました。別の言い方をすれば「喉を楽に」という事なのですが、自分は喉に問題があると思っている人は少ないのでなかなか分かりません。そこで、実際に声を出させながら実験していくと分かってきます。その人によって響きやすい音の高さは微妙にちがうので、注意しながら指導する必要がありますが、女子生徒の場合は頭声、支えられたファルセットを指導していくと響きのある声を出せるようになって理解が進む場合が多いので助かります。しかし、なかには「作った声」と「自然な声」の区別が分からないで手こずる場合もあります。適切な歌唱指導を受けてきたかどうかがわかる局面です。むしろ余計な事を教わっていないほうが指導が上手くいく場合が多いようです。
また、「歌唱発声の喉」は「支えのある息の流れ」と「閉じたアンブシュア」と釣り合っているのですが、とんでもない事を教わってくる学生もいます。せっかく「歌唱発声の喉」からヒントをつかんだのですが、今ひとつ定着しないで伸び悩んでしまっている学生がいました。よく聞いてみると高校時代に定期的にエライ指導者の先生が来て教えてくれたそうです。「喉を開きなさい」「喉を下げなさい」「喉が開くと口の中が広くなります」「口の中が開くと唇のアパチュアも大きくなります」等々オソロシイ言葉の連続です。ブラスの世界では有名な先生らしいのですが、全く間違っています。本当に管楽器を吹いた事があるのでしょうか?管楽器の指導をした事があるのでしょうか?テキトーにその辺の言葉を並べただけですね。その学生はこれらの言葉が頭の中で消えずに残っていたわけです。なかなか上手くいかないわけがやっとわかりました。
「歌唱発声の喉」は喉のバランスの話であって口の中の容積の問題ではありません。口の中が広くなるというより舌が楽になってくるのがわかります。舌根と喉は繋がっているからです。そしてアンブシュアに対してはアパチュアが広がるのではなく逆に「閉じてはいるが固くならない」アンブシュアが獲得できるのです。「粘膜奏法」と「歌唱発声」の喉は共存できないのです。そして「対応運動」つまり「支えのある呼吸筋のバランス」が身につきます。テキトーな言葉を並べて指導された生徒はかわいそうです。
明日から誤解を解くように指導をしなければと思っています。
皆さんはどう思われますか?

音源は唇?

生徒に「ラッパの音源は何?」という質問をすると「何でそんなわかりきった事を聞くんだろう」というような顔をするのが普通です。「音源は唇に決まっている」と思っているのです。そこで、「ピアノの音源は何?」と質問すると「ピアノ線」と答えます。「そうだよね、そのピアノ線の長さが変わると音の高さが変わるよね」「ラッパの音の高さは唇で変えるの?」と聞くと困った顔をします。音の高さを変えるためにはヴァルブを押して管の長さを変えなければならないからです。ピアノ線という弦が振動して音が出るように管の中の空気が振動して音になっているわけです。管楽器の音源は管の中の空気なのです。狭い隙間を空気が通り過ぎる時に波が起こり、それが管の中の空気を振動させて音になります。唇の振動音(バズィング音)なしでも音になるこの現象に着目する事によって楽に響く事が分かる場合が多いのです。
この間も調子を崩した学生にこの話をしながら基礎練習のレッスンをしていきました。その学生も「音源は何?」という私の質問にキョトンとしていましたが、練習していくうちにだんだんと楽に響くようになり調子を取り戻してきました。リップスラーは同じ管の長さで数種類の音の高さを移動する練習ですが、管の中に倍音があるわけです。管の中の空気と口の中の空気は繋がっています。その為に口に中で舌が微妙な動きをしているのです。舌が動かしているのは息の流れ(空気)であって舌で唇の振動音を変えているわけではありません。そういう感覚を持ってラッパを練習する事によって楽に響くようになり、調子を取り戻しました。調子が良かった頃はこの事が意識化されていなかったわけです。だから何かのきっかけで調子を崩しても自分では戻せないのです。「子音は前、母音は後ろ」という感覚もそこから分かってくるようになりました。
皆さんはどう思われますか?ご意見、質問は「会議室」へどうぞ。

母音の位置 フルート モイーズ

 先日あるフルーティストの方が我が家にヒントを求めてこられました。曲を少し聞いたところでちょっと中断して、
モイーズ「24の旋律的練習曲と変奏」を少しやってもらいました。私のヒントは「この曲をヴォカリーズとして吹いて下さい」というものです。一つ一つが短いのでヴォカリーズ(母音唱)の練習としてはもってこいだと思ったからです。
この時のヒントがいつも言っている「母音は後ろ」という事です。つまりヴォカリーズとして練習するのであれば何となく歌うようにというだけでは変化はありません。ベルカントモードの母音の位置にしなければ意味のない練習になってしまいます。地声の母音の位置でいくら「歌うように」吹いたとしても効果は実感できないのです。

トランペットにもチコーヴィッツさんの「Flow Studies」とかボルドーニのヴォカリーズとかありますよね。これらも地声の位置でいくら吹いても響きが良くなるという事はありません。観念的に歌っているだけでは効果は分かりませんね。実際に歌う母音の位置で練習することによってヴォカリーズの練習で響きが良い方に変化するのです。観念的でなく肉体的にも「歌うように」吹く事が大事なのです。声は出していないけど歌っているのです。

そのフルーティストも途端に見事に変化し、楽に響く良い音に変化しました。笑顔で我が家を後になさった事は言うまでもありません。

皆さんはどう思われますか?

才能はあるけれど・・・

 沢山の生徒、学生を教えていると気がつきますが、器用な生徒、才能はあるのに伸び悩み、壁を越えられない学生がかなりの割合で存在することです。
音程感、リズム感はきちんとしています。音楽をやる基礎的な条件は悪くないのです。副科のピアノもそこそこ弾けたりします。絶対音感を持っている学生も結構います。
にもかかわらず、ある程度吹けるようになった後上手くいかなくなるのです。やる曲をグレードアップしても必ず行き詰まってしまいます。
このような学生は器用なので、音を「作る」のも上手いのです。バズィングでも粘膜奏法で吹けば簡単に出来ます。
唇で音を小細工して作るのも上手に出来ます。中、高吹奏楽の顧問にとっては取りあえず便利な生徒なので重宝します。
本人も重宝がられたりすると自分の欠点がどこにあるのかが分からないのです。ある程度の事は吹けるのに何故曲を
グレードアップすると必ず失敗するのか分からないのです。
音の「響き」「色」、音のアタリと息の流れ、フレーズと歌、等々器用なだけでは超えられないことが沢山あります。
「才能はあるけれど・・・」という学生も一人一人事情が違っているので、対応はそれぞれです。きっかけをつかむと
すっと前に行くのですが、そのきっかけをつかむまであきらめないでさらっていく気持ちが大事ですね。
皆さんはどうお考えですか?

サイト引っ越しました

新しくサイトをつくりました。

過去の「こぼれ話」も収録しています。

今後ともよろしくお願いします。

ご意見、ご質問は、いつもの会議室へどうぞ。