学生諸君のレッスンをしていると時々驚かされる事があります。この間はある楽器の一部の学生達の演奏を聴いた時に感じた事です。一生懸命唇から先で音楽をしようとしているように見えたのです。やろうとしている音楽の流れとは関係なく息が流れているわけです。彼らが気にしているのは息のスピード、圧力、息の量など物理的な事柄です。それなのに唇、マウスピース、楽器では音楽を表現しようとしています。「それはちょっと無理でしょう」と思うのですが、自分のやっている矛盾に気がつかない様子です。それどころか、なにか器具を持ち出して「息のスピードを強化する」という練習をしたりしています。
唇より前に、息の流れが音楽的でないのに楽器で音楽をしようとしても無理という事を説明しながらレッスンをしていきました。高い音、低い音、強い音、柔らかい音、クレッシェンド、ディミヌエンド、等々音楽表現に合った息の流れがなければ楽器で音楽表現が出来ません。音楽的な息の流れがあって音楽的な表現が出来るのだというごく当たり前の話を忘れているようでした。
「音楽的な息の流れ」とは「歌うように吹く」という事に他ならないわけです。声は出していないけれど歌っているわけです。アルペジオを演奏するにしても唇だけが仕事をしているわけではありません。この事は多くの人が知っている事ですが。その他のフレーズでも同じように歌うように吹いたほうが上手くいくわけです。前にも書いたように管楽器のための様々なヴォカリーズが出版されているにもかかわらず、息の流れを物理的にとらえながら唇から先で音楽をしようとしている人達がいるのです。いきなり「歌うように吹く」と言うと拒否反応を示す人も「音楽的な息の流れ」から説明し、それが「歌うように吹く」という意味だと気がつくと「唇が楽になります」とか「楽に響きます」と言うようになってきました。
まさに「音楽的な息の流れ」が仕事をしていました。
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